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あけましておめでとうございます!

さてさて、2011年、来てしまいましたな〜。今年はどれだけ跳ねることができるやらピョン!

いきなり本題ですよ。

前にも書いたんだけど、カラオケの点数の話しね。
機械の精度や、メーカーの特色なんかが大きくは影響してるんだけど、そんなものより「声」そのものが点数に影響を与えてるってことが分かってきたんだな〜。

非常に簡単に言うと、歌ってる声を、全部マイクに通すことができると、点数は良くなって、マイクから漏れてしまうと、その分点数は低くなるのじゃよ。

イメージにすると、ビール瓶に水道から水を入れるとするじゃない。瓶の口は一定の大きさなので、蛇口を全開にしても、入る量は比例して増えるわけじゃないってことだよね。確かに水が出るスピードが上がれば、その分だけ早く瓶に水は溜まっていくんだけど、効率や割合からすると、非常に損をしてる感じになるはずでしょ?

カラオケに置き換えると、声も大きくて声量があるな〜と、聞いてる分には思えても(実際、声は大きいはずだし、声量もあると思えてもね)機械の判定では、声量が不十分と出てたりするんだな。つまり、声の大きな人で、歌い慣れてる人は、現場の状況に合わせて、マイクを離したりしてコントロールしてるので、マイクには声の一部しか通ってないってことになるのじゃよ。

これを踏まえて、とあるカラオケスナックで、以前から知り合いの一団さんのカラオケ合戦を検証させていただきました。

このグループの中の年配の女性が、常に90点オーバーをたたき出してるんだな!
失礼ながら、歌唱力という点では、ごくごく一般の人という感じ。彼女よりも上手い歌を聴かせてくれる人も何人もいるんだけど、ことごとく80点前後止まりなわけよ。
そこで、先ほどの理屈をはめてみてよく彼女の歌を聴いてみると、まさしく声の漏れが少なく、ほぼ出してる声がそのままマイクを通ってるのがわかるんですよ。

彼女はあくまで自然に歌ってるんだけど、偶然その歌唱法を体得してたのね。

声そのものの性質、特に周波数に関しては、何Hzかとか、データを取ってるわけじゃないけど、影響は有るはずと思ってるんだな。しかし、今回、発声そのものに注目してみたら、むしろ声の通し方を覚えた方が、点数は上がるんじゃないかいな〜と思ってるんですよ。

あ、ただしこれって、歌が上手いとか、いい歌だな〜っていうのとは全然違うからね^^。
あくまでも機械ってヤツはこんな感じじゃってことね。(ちなみに彼女の歌は、素朴だけどしみじみとした味わい深い歌だってことは付け加えときます)

声の不思議は、今年も健在!首相の声やエビ◯さんの会見の声を聞くと、まだまだ突っ込みどころが(声に関してね)満載って思いました!

PS 武術の奥義の一つ「遠当て(とおあて)」という技も、声で相手を制することが入ってるんだな〜。ま、流派によって「遠当て(とおあて)」の解釈や方法が違うので、一つの参考ね。

声には力が有るのです!ということで今年も「声」に武術に(ん?いつから武術加わったんだっけ??)研鑽してまいりますので、何卒よろしくお願いします。んじゃ!
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久々、声の力!歌の力!

いや〜、事務所の引っ越しや、ボイトレスクールの新体制作りなんかで、思いっきりブログ更新が遅れてしもうた、、、すまんこってす!

そんなこんなの内に、第3回となるボイトレの発表会が、先日、2010年12月12日にあったわけよ。

あ、ここ最近空手の話題ばっかだったので、「なんのこっちゃ??」の人もいるかも知れませぬが、本職は音楽でありんす。

つい最近始めた人から、4年くらい通ってくれてる人、一度卒業の形をとった人なんかが、一堂に会して(と言っても、ライブハウスの都合上、だいたいいつも10組前後の出演だけどね)それぞれが目標とするパフォーマンスをやったんだな〜。

例えば、普段人前で大きな声でしゃべれないので、それを改善したいとか、憧れのボーカリストのハイトーンを出してやるぜい!とか、プロの歌手を目指して日夜努力している人、舞台俳優になるための武器としての声を持とうとしてる人なんかがね。(だから、演目も、カラオケでステージングをする人や、バンドユニットで歌う人、ミュージカル風に表現する人、お芝居を見せてくれる人など、バラエティーに富んでるんだよね〜いっつも)

みんな、それぞれの目的、目標に着実に進んでいる(まだまだ距離が遠い人が多いけどね^^)のでした。

卒業組は、舞台で活躍の場を見つけた人や、タレント事務所と無事契約できた人、これからプロモーションに入る人なんかが出てくれて、「あ〜、オイラのやってきたことは、そんなに間違っちゃいなかったゼイ〜〜〜。」と、目頭が熱くなっちまったんだな〜これが。(昔、教えた人が今もテレビや映画で活躍してるのを見ると、「ほっ」とするんだよね〜)

あらためて思うけど、
「全ての人に才能は有ります。その才能を表に出すための技術を知ることです。知れば誰にでもできるものを技術と言います。その技術をいくつか身に付けた後、どれを選択して使うか、その時にそれぞれのセンスや個性が発揮されるのです!」
って言ってレッスンしてきたけど、アタリだったでしょ!ね!ん?でしょ!?だよね〜^^v

実際に、自分の描いた夢を現実にして、仕事にしていくってことは、ほんとに大変なことで、歌手だろうが役者だろうが、オリンピックを目指してるアスリートと同じくらい努力が必要だっていうけど、やりたければ、やればいいのよ。自分で決めればいいことなのよ。やめるときも自分が一番分かってるしね。これ以上走れないって思ったら、そこで自分の決断でやめればいいのよ。他人にとやかく言われる筋合いじゃないのよ。(オネ〜言葉じゃないよ!)

これからもいろんな表現者のサポートをしていこうと思っちょりますがな〜。

今回の発表会を通じて、またまた「人の声には“力”があるのだ!」を実感したのでした!

なんか今年の総括みたいになったけど(ほんとはテレビの記者会見ネタ、あ、例の痛そうなヤツね、も書こうかと思ったけど、その内ってことで)、今年お世話になった人たち、ありがとうございました!来年は早々にプロデュースしてきた女性シンガーの曲もネット配信される予定だし、より表現者側にたったサポートをしてこうかいな〜と思ってまっせ!

あ、琉球拳法も来年も続けるので、そっちもヨロピクね。

では、皆さんにとって来年が良い年になりますように祈念してます!んじゃ!
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いきなり“奥義”のお話し!

ちょいと「手(てぃ〜)」を引きずりつつ…

R式ボイストレーニング法は、いきなり”奥義”から教えるっていうやり方なのよ。
物事、習い事には、いろんなセオリーや道筋ってものが有るけど、絶対に知っておかなくちゃいけない「基本事項」とか、何のためにこの方法を学んでいるのかってことが分からないと、やってる意味がなくなっちゃうと思うんだな〜。そしてその目標の最たるものが「奥義」ってやつだと思うわけよ。

アニメなんかだと、「奥義」習得のために血道を上げて「会得したぞ〜!!!」ってところで、最強の達人になっちゃうんだけど、実際にはそうそう簡単に「会得」して、かつ使えるようになるのは、そうとう大変なことだよね。

「大きな声を出せるようにしたい!」っていうことを目的にボイトレを習いたい人が、かなりの数いるんだけど、たいがい一年くらいかけて、「はい、やっと大きな声で歌えるようになりましたね。」なんていう学校で教わってると、「大きな声」が出た段階で「達成!」と思って、歌そのものまで上達したような錯覚に陥ることがあるんだな〜。

「大きな声」を「奥義」と言うかは別として、技、技術ってやつは、知って、できただけ、じゃなんにもならなくて、いつでも使えるようになってはじめて生きてくるんだよね。だから、うちでは、先に「大きな声」の出し方を速攻教えて、それを使って歌うという方法をとってるんだな。(最初に書いた”奥義”ってやつは、この先にやることなので、お間違いなく^^)

武術的な「奥義」や「皆伝」ていうのは、そこまで達成した人ですよっていう証みたいなもの。

だから、「奥義」のエッセンスを「基本稽古」に取り入れている流派は、伝統を継承している、本物の流派ってことになるんだろうね。「これはあくまで基本だから。」とか言って、基本の動きと稽古を数年重ねた時や実戦の動きが違うなんてとこだと、「ちょいと怪しくね〜」と思うわけよ。

いろんな流派の良いとこ取りみたいにして、本質から遠ざかってるようなものを習ってると、いつまでたっても「奥義」には到達できないで、時間の無駄になるってことも、しばしばあるらしいよ。
何が本物かを見極めるのは、非常に大変なことだけど、教えている先生に「哲学」なり、「道筋」「目指している形」があるのかを、注意深く見て聞いていけば、それほど間違った道にはいかなくてすむかもしれないね。(私は幸いにも、素晴らしい先生方に出会ったおかげで、迷走することはあまり無く修行できてると思っています。ありがとうございます。)

そんなワンケンで(どんなや!)、みなさん体の使い方がよろしくなってきて、今まで武術経験皆無の女性でも、いきなり正拳に威力が備わったりしてるんだな〜これが!前述の通り、使えるようになるのはまだまだ数年先のことだろうけど、伝統の「動き」ってやつは、本当に凄いもんだな〜と思う今日この頃でした。ご先祖様に感謝!!
(今日はなんの話しがメインか分からなくなってもうた…)んじゃ!
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ワンケンとボイトレ4

ちょいと間が空き過ぎましたな〜、すまんですたい、、、(薩摩がやってきた〜〜〜!)

「手(てぃ〜)」は、時代は下って武士階級には「首里手(しゅりて)」として定着していったらしいんだな。しかし、みんながみんな、「手」をやってたわけじゃないんよ。島津藩が侵攻してきた後も、「手」は残るんだけど、同時に剣術も盛んに行われてたんだね。
よく、島津藩が侵攻してきてから、刀狩りのように、武器が封じられたとか言ってるけど、本当はどの武士の家にも刀はあったんだな。R家の家訓にも、「本家は代々、◯◯という刀を受け継ぐように!」という項目が入ってるんだよね。
こんなことから、薩摩示顕流(じげんりゅう)が武士階級には普通に浸透していったみたいだね。

だから、空手が「武器を使えなくなったので、徒手で戦うために産まれたのだ!」っていう意見は、時代考証が多少ズレてんじゃないのかな〜って感じるわけよ。ただ、この時代に空手の原型が作られていったのは確かだろうけどね。
よって、首里手は剣術の理合い(りあい)を取り入れて、「体サバキ」を重視した術理を持つようになるのじゃ。相手が刀を想定してるっていうのは、こんな理由があるんだと思うよ。
だから技も、交差法、カウンターのようなものが多く残っているんだろうね。

士族階級とは別に、一般の人、特に港湾労働者(っていうか、ウミンチュ=海人だから、みんな海関係の仕事が多かったのかもね)達の間で流行っていくのが「那覇手(なはて)」と言われるようになるものだね。
もともと体がメチャ鍛えてあった人たちなので、ガチンコ拳法はすぐに取り入れやすかったんじゃないかな?圧倒的な体の強さで、殴られようが蹴られようが、ビクともしない「手」を作り上げたんだな。空手には「受け」というのがあるけど、これはけっして攻撃を止めるためにあるんじゃなくて、攻撃してきた相手の腕や足を、「受け」によって叩き壊すというのが前提らしいよ。80才くらいの人でも、筋肉隆々っていう人が、今でもいるくらいだから、全盛時代には、そりゃ〜凄かったんだろうね〜。

どちらも、ある時代、環境、考え方で産まれてきたもので、優劣を問われるものではありません。どちらの思考で成り立っている武術なのか、どちらの目標で稽古をしていくのかを習う人が認識していないと、せっかくの伝統技法もなんの役にもたたなくなるという現象が起きてしまうんだな。
直接お会いして、お話しを聞かせていただいた、沖縄空手を代表する一人の金城 裕先生も
「自分が何を追求しようとしているのかを知ることが、まず最初にやることです。手(てぃー)なのか唐手なのか空手なのか。それぞれ似てはいるが、別の思想で成立したものですからね」とおっしゃっていました。

この発想は、空手だけに留まらず、いらんなジャンルにもあてはまるんじゃないかな〜と思って、今回は長々と「手」話しをしてきました。まだまだ続くかもしんないけど、今日はこれくらいで。

あ、ちなみにワンコイン拳法の日時が変更になりました。毎週日曜日の14時から15時半。東急武蔵小山駅徒歩8分?の林試の森公園内の森の広場です。おたのしみサークル的な集まりなので、いろんな意味で恐〜イ人はお断りですけどね^^;

ではまた。(そろそろ、ボイトレネタに戻らねば、、、トホホ)んじゃ!
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ワンケンとボイトレ3

流派=考え方ってことの続きね。

そもそも流派とかは、その時代時代に必要とされて産まれてくるものなんだよね。

日本でも戦国時代には、いかに素早く且つ(自分が)安全に相手を殺すことができるかを考えて、刀の使い方を研究し、それが洗練されて、江戸時代に多くの流派が起こるようになったとかね。ただし、「必要」の意味が少し違うけどね。生き残るために必要だった剣術と、生活のために必要になった剣術との違いかな。そういう時代の要求だったてことよん。

沖縄の武術も、時代によって変わってきたのじゃな。

まだ、沖縄が統一される前、三山時代という時期には、日本の戦国時代同様に、3つの“国”で争っていたんだね。当然軍団闘争術みたいなものがあったんだろうね。当時も海洋民族として、中国やインドネシア諸国とも貿易してたはずだし、(ちなみに、沖縄料理でよく聞く「ちゃんぷるー」という言葉は、インドネシア語なのだと)いろんな国の戦略・知略は学んでいたんだろうね。

そう考えると、徒手より武器術、しかも団体戦を想定した戦い方が主流だったはず。そのうち第一尚氏、第二尚氏を経て、琉球王国ができました。すると、団体武器術は日常で使うことも無くなって、個人武術へと移行したんじゃないかな??(私論なので、一つの考え方と思ってちょうだいませ。)
これも時代の要請ってことじゃない?

この当時は流派なるものは無かったと言われています。各町や村で、それぞれ武に長けてる人がいたんだろうな〜。そのうち薩摩の島津藩に侵略されるまでは、琉球文化の中に「武(ぶ)」はしっかりと根付いていったんだろうね。その名残で、現代でも沖縄では、「あの人は空手ができるよ」とは言わず、「あの人の手(てぃー)は凄いよ」と言うのです。(今の若い人たちは言うかな〜?)

ちょいと長くなりそうなので、続きは次回!すまん!んじゃ!!
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