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 不思議な声の物語 by R::ワンケンとボイトレ3

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ワンケンとボイトレ3

流派=考え方ってことの続きね。

そもそも流派とかは、その時代時代に必要とされて産まれてくるものなんだよね。

日本でも戦国時代には、いかに素早く且つ(自分が)安全に相手を殺すことができるかを考えて、刀の使い方を研究し、それが洗練されて、江戸時代に多くの流派が起こるようになったとかね。ただし、「必要」の意味が少し違うけどね。生き残るために必要だった剣術と、生活のために必要になった剣術との違いかな。そういう時代の要求だったてことよん。

沖縄の武術も、時代によって変わってきたのじゃな。

まだ、沖縄が統一される前、三山時代という時期には、日本の戦国時代同様に、3つの“国”で争っていたんだね。当然軍団闘争術みたいなものがあったんだろうね。当時も海洋民族として、中国やインドネシア諸国とも貿易してたはずだし、(ちなみに、沖縄料理でよく聞く「ちゃんぷるー」という言葉は、インドネシア語なのだと)いろんな国の戦略・知略は学んでいたんだろうね。

そう考えると、徒手より武器術、しかも団体戦を想定した戦い方が主流だったはず。そのうち第一尚氏、第二尚氏を経て、琉球王国ができました。すると、団体武器術は日常で使うことも無くなって、個人武術へと移行したんじゃないかな??(私論なので、一つの考え方と思ってちょうだいませ。)
これも時代の要請ってことじゃない?

この当時は流派なるものは無かったと言われています。各町や村で、それぞれ武に長けてる人がいたんだろうな〜。そのうち薩摩の島津藩に侵略されるまでは、琉球文化の中に「武(ぶ)」はしっかりと根付いていったんだろうね。その名残で、現代でも沖縄では、「あの人は空手ができるよ」とは言わず、「あの人の手(てぃー)は凄いよ」と言うのです。(今の若い人たちは言うかな〜?)

ちょいと長くなりそうなので、続きは次回!すまん!んじゃ!!
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