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 不思議な声の物語 by R

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「その街のこども」の凄さ!!4

「その街のこども」では、主人公二人が三宮・東遊園地へ向かうロードムービーな感じのドラマで、あまりにも自然な台詞回しと(当然ながら今の風景なので)、まるでいつも歩いている街じゃないか?とさえ思えるほど、作られてない映像に、自分も一緒に歩いてるような感覚を持たせてくれたね〜。ガード下の雰囲気。路地裏の感覚。誰にでも起こりうる出来事だけど、誰もが体験しているわけじゃない出来事。


JR尼崎駅から大阪とは反対方向の電車に乗った。背広組とリュックサック組の割合が徐々に変わっていく。
夕方のやや混雑した車内のような込み合い具合の中、窓の外の景色を眺めていた。大小いくつかの川を電車は越えていくんだけど、川を一本越えるたびに車窓からの風景は変化していく。

立花駅。バッグや紙袋など荷物の多い人たちが増えてきた。それとともに、窓の外で倒れている家の数が、少しずつ増えていく。

甲子園口駅。リュックサックを背負っていることが、むしろ当たり前の姿に思えてくる。
大きな川を越えてここまで来ると、窓の外はテレビで見ていた世界にどんどん近づいてくる。


ドラマの中では、一見たわいもない会話のようなことでも、全てが「あの日」のために語ってるように思えてくる。主人公二人は、同じ道を歩きながらも、「あの日」に対する思いが少し違うことを感じている。しかし、それは自分自身の中にある”違い”(葛藤や矛盾?)を鏡のように映しているのだとも感じているのだろう。そう、R君は思って見てたんだけどね(私見です)。


西ノ宮駅。当時、大阪側からJR神戸線に乗ると、この駅までしか来ることができなかった。ちなみに今は「西宮」と表記されているが、当時見た駅名は「西ノ宮」となっていたんだ。

駅のホームに降りる。たしか島式ホームだったかな?上り方向を見ると、夜のニュースでよく見たグランドがあった(はず。記憶違いの場合はご容赦くだされ。)ドラム缶で廃材などを燃やして暖をとっている様子が見て取れる。が、テレビで見ていた雰囲気とは少し違った。ま、まだ夕方だというせいもあるんだろうけど、中継の時より人は少なくて、ドラム缶の周りはかなり広々としてるように見えた。

駅を出る。無言の集団が改札を抜けていく。この駅より先に行くとすると、歩いてバス停まで行き、神戸側に通じている駅まで行くんだそうだ。だから、みんな同じ方向に、無言のまま、しかも一定の速度と秩序を保って歩いていく。その光景は、「川の流れように」ではなく「溶岩の流れのよう」だった。よどみなく、しかしサラサラではなく重厚に続いていくのだった。
街に色は無かった。というか、灰色のフィルターをかけているような感じに見えた。新築の家と古い家は明らかに崩れ方が違っていて、新しい家が、畑の中の標識のように立っている感じだった。

その流れの中で、ひと際大きな声で、女子高生くらいの子がしゃべっていた。急にそこだけカラーになったように。

「あんな〜、うちのおっちゃん、埋まってしもうたんよ〜」

この会話の前後でやや笑い声が聞こえてたので、きっと明るくするためにギャグ口調でしゃべってたんだろうな〜。(うわっ、すご!関西人のパワー!)と心の中で思ったが、このとき周囲の人たちは、誰一人として彼女達を非難する人はいませんでした。それは彼女の発した言葉が、真実を告げているんだと感じたんだろうと思います。バカにした口調でもなく、「私たちは生きてるんだから、がんばろう〜な〜」というメッセージが含まれているような声でしたからね。

大きい道路の手前まで歩いて、引き返すことにしました。日帰りだったのでね。
写真? 撮れなかったね。そんな雰囲気じゃなかったし。それでもあの日感じたことは、まだ体感として残ってるんよ。


「また、、、…今日は止めとくわ」
ドラマは画面から消えていったけど、まだ二人が歩いているような不思議な感覚を残したまま、エンディングテーマが流れる。この歌にもすごく力があるよね。
15年もたったのか〜と、あらためて思い起こさせてくれた「その街のこども」。そういえば、何年か前のレッスン生で、神戸で震災を体験した子がいたな〜。
「なんで役者目指してんの?」と聞くと「亡くなった友達が役者志望だったんです。」と言ってた。全部を背負うことはできないけど、少しでも亡き人を思って歩いていくっていうのは大切かな〜。(あいつ、まだやってんだろうか??)

いろんなことを考えさせてくれた「その街のこども」は凄い!未だに反響があるらしいけど、それも凄い!このドラマが凄い!と思ったRも凄い!ってか!んじゃ!!
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「僕たちのプレイボール」完成披露試写会!

「僕たちのプレイボール」完成披露試写会に行ってきましたよ!場所は中野サンプラザ。
一瞬しか、出演者の少年少女達とは言葉を交わせなかったけど、相変わらずいいテンションで、活気がありました!
今回は、試写のあとに、舞台挨拶があって、吉田栄作さんや羽田美智子さんも駆けつけ、新庄剛志さんもサプライズ風?の登場で開場を盛り上げてくれました。

し、しかし、エンドロールに、歌唱指導で名前が入ってたはずなんだけど、またまた見逃してしまいました。(ほんとに入ってるのだろうか???)

二日酔い(ごめんなさい(^^;)だったせいか、歳をとったせいか、(いえ、映画がよかったからでやんす!)親子の絆のシーンになると、ウルッときてしまい、「ん?花粉症のせいだよ」と悟られまいとしているR君でございました。野球少年は、見に行ってほしいにゃ〜。

今日のところは、ご報告までに!「その街〜」の続きは、ちょい待ちね、んじゃ!
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「その街のこども」の凄さ!!3

JR神戸線、尼崎駅。時間は午後2時頃だったかな。大阪方面に乗り東京へ帰るか、もう少し先までいくか、、、。(ここまで来たのだから、現場を見ていかなくちゃ…)

ごくありふれた日常が、ある日突然、信じられないような状況に変わってしまう。

実はこの震災の3〜4年前、ボスニア・ヘルツェゴビナの現状を、日本国内の人に知ってもらおうという活動を、少しばかりお手伝いしていたのです。
 その当時は、新聞でもほんの数行の記事で、テレビや雑誌ではほとんど扱われていない状況でした。なぜ、これに関わったかは、話しが長くて、ややこしいのであえて今は言いませんが、とにかくあの悲惨な状況を多くの人に伝えなきゃ!という思いで、2年程あちらこちらに(ニュースでの取り上げや、雑誌でのよびかけなど)働きかけていました。
なかなかいい結果は出せずに、Rのお手伝いは終了したのですが、、、。(’92年後半頃からは、現場のスクープ映像や情報が日本でも少しずつ多くなり、Rの役目はもう終わったかな〜ということで終了したのでした。)

そのときに言っていたのが、「幸せな日常が、ほんの一瞬で地獄のような光景に変わってしまうこともあるんですよ!」

ほとんどのジャーナリストは、こんなどこの兄ちゃんか分からない人間の話しを(もちろん資料や戦場に物資を届けるスクープビデオを携えての訪問・交渉ではあったのですけどね)しっかりと聞いてくれました。ただ、今の日本の状況で、この報道はあまり時間を割くことはできないよ、という感じの回答がほとんどでした。それほど戦争とか内戦とか、惨状とかがその当時の日本で「遥か遠くの国のお話し」にしか映らないくらい幸せだったのかもしれませんね。(ま、バブル崩壊直後だったので、それどころじゃないという意見もありましたが、、、ボスニア話しはまたいずれ)

そして…1995…

大阪とは反対の電車に乗り、行ける所まで行ってみようと、、、。東京に帰ったときに、誰かに話すにしても、体で感じたことでなければ(いや、もちろんほんの少ししかわからないけどね)歪んで伝えてしまうだろうな〜と思ってのことです。

電車を待つホームでは、大阪行きよりは若干手荷物やリュックサックを背負った人が多いような気がしました。少し緊張しながら電車の中へ、、、。
                                       つづく
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「その街のこども」の凄さ!!2

JR神戸線。微妙な感覚を宿したまま、始めての電車に乗りました。いや、正確には赤ん坊のときに乗ってたんだろうけど、記憶には無いからね。

車内はというと、これもまた東京の電車内の風景と変わらない感じでした。むしろ「ナップサックを背負ってる俺って、浮いてない??」って思うくらいね。
とりあえず、従兄弟と待ち合わせていた尼崎駅に到着。まずは車で従兄弟の家に向かうことになりました。

コインロッカーのキーというアイテムが(あっ、これドラマね)さりげなく二人を引き合わすまさしくキーワードになってるようで、(しかも自然にね)過去と向き合うのか、目をつぶるのか、熱過ぎず、冷めても無い、絶妙なバランスを醸し出しているな〜と感じるシーンでした。これからあの場所へ行くのか、帰るのか??

従兄弟との会話も、こんな感じで、震災のことをどう聞けばいいのか、「皆さんは大丈夫ですか?」と聞くのにも勇気がいる印象でした。(知り合いが亡くなった方も大勢いましたからね)ただ、従兄弟のエリアはまだ被害は少なかったので、普通に会話はできるようになっていきました。
家に着くと、一通りの挨拶を済ませ、管理してもらってる家の被害状況の確認に向かうということになりました。が、そのときです。震度4の地震が起こりました。Rは、「あっ、少し大きな地震だな〜」というくらいの感覚でしたが、従兄弟の子供は非常に怯えていました。聞けば、震災後にも頻繁に余震があって、しかも震度4程度は当たり前ということでした。小学生の子供は、震災の記憶から、多少の揺れでも、怯えて学校にも行きたくないというほどになっていたのです。少しずつではあるけど、体感として状況がしみ込んでくるような感じを受けました。

では、家に向けて車で出発!長屋が多く集まる場所にうちの家はありました。戦後に建てられた木造の家が多く、ほとんどが地震の影響で崩れていました。うちの家も物干し台は崩れていて、普通はもう人は住まないだろうな〜、という印象でした。とりあえず実家への報告用の写真を撮って従兄弟の家に戻ることにしました。

従兄弟の家に着いて、今後の対応を話し合った後、彼に相談しながら、被災地に行こうか、戻ろうか、ドラマの中の彼らと同じような気持ちで考えていました。
「もし、被災地に行くのなら、写真は気をつけてね。勝手に撮ると、気持ちを逆なでするようで、怒られるよ(殴られても知らんよ!というニュアンス)」
迷いながらも従兄弟に別れを告げて、駅に向かいました。      つづく
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「その街のこども」の凄さ!!

2010年1月17日。23:00〜24:13NHK総合。
なにげなくテレビを切り替えていたときだった。「もう見るもんもないな〜」そう思って、スイッチを消す瞬間だった。手が止まった。とくにアクションが有るでもなく。サスペンスでもない。一見何のロードムービーか?ってなくらい、派手さもなく、淡々と映像が流れていく。

インタビュー?ドキュメンタリー?

あまりにも自然な演技は、森山未來さん、佐藤江梨子さん。

驚いた。こんなに自然なドラマ、、、演技、、、演出、、、?あらためてこの二人の力を感じてしまった。

阪神淡路大震災。もう15年もたつのか。Rは東京在住なので、当然直接の被害は受けていません。しかし、親戚が尼崎にいるので、まったく無縁という気はしませんでした。それに、当時健在だった父親の名義の家(といっても、長屋の一部だけどね)があったので、その家の状態の確認も含めて、現地に行くことにしたのでした。震災があってから、たしか一週間だったと思います。

ナップサックを背負って、確認用のカメラを携えて、一路尼崎へ。

ドラマの中の台詞は、あの風景を知っている人と知らない人では、全く違うものに感じるのでしょう。とくに居酒屋のシーンなんかは、「人の想いと痛み」が、会話(声)の中に溶け込んでいて、何とも言いようのない、部外者が口を挟む余地もない、悲しくもあり、ニヒルな?笑いもあり、関西人の強さなのか、とてつもなく先が知りたくなるシーンでした。

新幹線で新大阪までくると、「さぞや、被災者がいっぱいいるんだろうな〜」と思っていたRには、拍子抜けする程、普通の風景が展開していました。
「昨日のニュースはいったいなんだったんだ?食料が未だに足りないって言ってたのに?」
駅中は、当然のごとく「売る程」食べ物がありました。
(もう、終わったことなんか〜?)
そう思いながら、尼崎行きの電車を探して、構内をナップサック少年は歩いていくのでした。


このシリーズ、少し続けるね。あっ、「その街のこども」サイトで見るといいよ!んじゃ!
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