#1ムスタングfeat.三線2
2012-04-10 19:01:51 (11 years ago)
- Category Tags :
- ボイトレ関連&コーヒーブレイク |
♫ティンサグぬ花や ちみさちに すみてぃ〜
うやぬ ゆ〜し〜ぐとぅや〜 ちむにすみり〜♫
ん〜、最初に聞いて時は、俺もなんだか解らなかったけど、言葉の法則が少し解ると、意味もわかってくるんだよな〜。
ティンサグの花は、鳳仙花といわれてるね。紅花とも言われてるヤツだと思うけど、花を潰した汁を化粧道具にしていたってことらしいんだ。
いろんな解釈があるけど、俺がオヤジに聞いたのは、
「女の子が遊びの中で、庭に咲いている紅花を使って、大人と同じように化粧をするママゴト遊びの情景。紅花の汁を触ってるうちに、ちみさち=爪の先が赤く染まっていく様子。1回では薄い色しか出なくても、何度も繰り返して遊んでいるうちに、真っ赤に染まっている。それと同じで、うや=親の言うことは、毎日毎日うるさいな〜と思っていても、知らぬ間にちむ=心に刻まれているもんだよ。」
という感じだったかな〜。
この歌は全体的に教訓めいた歌詞だけど、確かに大人になってわかることってあるよな〜。
言葉の法則というのは、「あいうえお」が「あいういう」に変化するってのが一つあるね。だから親(おや)が「うや」になってるんだけど、もちろん全部がこんなに単純なわけじゃないけどね。
ついでに、「めんそ〜れ〜」は、ヤマト言葉、つまりすっごく古い日本の言葉の「まえりそ〜らえ」が訛った言葉らしい。
かつての琉球王国は、海洋国家だったという学者さんもいるように、いろんな国々と船による交易をしていたんだな。だから当然古い日本とも交流があって、今では失われた日本語の古語が、沖縄の言葉に残っていたりするんだって。
それに、よく、ウチナンチュ〜は、人柄が良いとか、知らない人ともすぐに打ち解けるとか言うけど、これはきっと海洋民族の血がそうさせているのかもね。
知らない土地や文化と接触する時に、一番平和になる方法は、友達になること、そう考えていたようなんだ。
そういえば、ゴーヤチャンプルーは有名だけど、このチャンプルーと言う言葉は実はインドネシア語らしいって聞いたことがある。まさしく色々な文化をチャンプルー=かき混ぜてオリジナルな文化に熟成させてきたんだろうね。
「さ〜、夕飯には少し時間があるから、少し散歩でもするか〜。」
「うん。ね〜これ食べてもいい?」
「あ〜、どうぞどうぞ。食べながら行くか〜。」
「オジ〜が作ったの?こんなにいっぱい?」
「いや〜、今日お前達が来るっていったら、隣のうちの人が作ってくれたんだよ。」
「いいですね〜隣近所が親戚みたいで。」
「ねぇ、これなんでサーターアンダギーっていうの?」
「ん?あ、それは那覇あたりの呼び方だな。この辺じゃサーターテンプラーっていうんだ。アンダギーは油揚げの方言。この辺は砂糖天ぷらでサーターテンプラ〜。」
「へ〜、場所によって呼び方が違うんですね〜。」
「三線や空手にもいろんな流派があるように、言葉にもいろいろあるのさ〜。ハハハ、多分だけどね〜。ハハハ!」
ハハハ、多分ですか〜。
「この道をもう少し行くとな〜、小さな港があるんだよ。港っていっても、小型の船が何隻か入る程度の所だけどな。そこで魚を獲って暮らしてるわけよ〜。」
「え?自分で獲るの?」
「あったりまえさ〜!網を打って捕まえるわけよ〜。いっぱい獲れた時は、近所に配ったり、市場で売ってお金にしたりな〜。持ちつ持たれつだからね〜。」
「ショーン、顔がふやけてるわよ!ハハハ!オジーは宇宙人じゃないんだからね、ハハハ!」
「だ、だって〜!すっごいよ!な〜んか!ジェイクにあった時もびっくりしたけど、オジーはな〜んか、ん〜、よくわかんないけど、カッコいいや!」
「よし。この辺でいいかね。ナイハンチやってみなさい。」
「はい。」
え?未雪がやるの?マジで?
「うん。筋は悪くないな。ショーン、できるか?」
「はい!」
は?ショーンも?マジで?
「よし。いいだろう。よく稽古してるな。この型はな、首里手(しゅりて)と呼ばれている空手の中の基本の型だ。だがな、言葉と同じで、土地によって少しずつやり方が違う。オマエに教えたのは、オジーがこの村で習った古〜いものだ。田舎手(いなかで〜)とも言われることもある。昔の匂いのする、味わい深い型だ。街の洗練されたものと比べると、無骨に見えることもあるがな。今後、同じ「ナイハンチ」という名前でも使い方や動きが違う物に出会うことがあるかもしれない。でもな、オジーのオジー達が受け継いで、オマエのお父さんにも伝えた、大事な宝だということを忘れないで欲しい。どこに出しても恥ずかしくない、立派な型だということを。誇りを持って稽古しなさい。」
「はい!ありがとうございます!」
ん〜、未雪め。これが沖縄に来た理由の一つか。オヤジ…ありがとな。
次回、も沖縄編かな?んじゃ!
うやぬ ゆ〜し〜ぐとぅや〜 ちむにすみり〜♫
ん〜、最初に聞いて時は、俺もなんだか解らなかったけど、言葉の法則が少し解ると、意味もわかってくるんだよな〜。
ティンサグの花は、鳳仙花といわれてるね。紅花とも言われてるヤツだと思うけど、花を潰した汁を化粧道具にしていたってことらしいんだ。
いろんな解釈があるけど、俺がオヤジに聞いたのは、
「女の子が遊びの中で、庭に咲いている紅花を使って、大人と同じように化粧をするママゴト遊びの情景。紅花の汁を触ってるうちに、ちみさち=爪の先が赤く染まっていく様子。1回では薄い色しか出なくても、何度も繰り返して遊んでいるうちに、真っ赤に染まっている。それと同じで、うや=親の言うことは、毎日毎日うるさいな〜と思っていても、知らぬ間にちむ=心に刻まれているもんだよ。」
という感じだったかな〜。
この歌は全体的に教訓めいた歌詞だけど、確かに大人になってわかることってあるよな〜。
言葉の法則というのは、「あいうえお」が「あいういう」に変化するってのが一つあるね。だから親(おや)が「うや」になってるんだけど、もちろん全部がこんなに単純なわけじゃないけどね。
ついでに、「めんそ〜れ〜」は、ヤマト言葉、つまりすっごく古い日本の言葉の「まえりそ〜らえ」が訛った言葉らしい。
かつての琉球王国は、海洋国家だったという学者さんもいるように、いろんな国々と船による交易をしていたんだな。だから当然古い日本とも交流があって、今では失われた日本語の古語が、沖縄の言葉に残っていたりするんだって。
それに、よく、ウチナンチュ〜は、人柄が良いとか、知らない人ともすぐに打ち解けるとか言うけど、これはきっと海洋民族の血がそうさせているのかもね。
知らない土地や文化と接触する時に、一番平和になる方法は、友達になること、そう考えていたようなんだ。
そういえば、ゴーヤチャンプルーは有名だけど、このチャンプルーと言う言葉は実はインドネシア語らしいって聞いたことがある。まさしく色々な文化をチャンプルー=かき混ぜてオリジナルな文化に熟成させてきたんだろうね。
「さ〜、夕飯には少し時間があるから、少し散歩でもするか〜。」
「うん。ね〜これ食べてもいい?」
「あ〜、どうぞどうぞ。食べながら行くか〜。」
「オジ〜が作ったの?こんなにいっぱい?」
「いや〜、今日お前達が来るっていったら、隣のうちの人が作ってくれたんだよ。」
「いいですね〜隣近所が親戚みたいで。」
「ねぇ、これなんでサーターアンダギーっていうの?」
「ん?あ、それは那覇あたりの呼び方だな。この辺じゃサーターテンプラーっていうんだ。アンダギーは油揚げの方言。この辺は砂糖天ぷらでサーターテンプラ〜。」
「へ〜、場所によって呼び方が違うんですね〜。」
「三線や空手にもいろんな流派があるように、言葉にもいろいろあるのさ〜。ハハハ、多分だけどね〜。ハハハ!」
ハハハ、多分ですか〜。
「この道をもう少し行くとな〜、小さな港があるんだよ。港っていっても、小型の船が何隻か入る程度の所だけどな。そこで魚を獲って暮らしてるわけよ〜。」
「え?自分で獲るの?」
「あったりまえさ〜!網を打って捕まえるわけよ〜。いっぱい獲れた時は、近所に配ったり、市場で売ってお金にしたりな〜。持ちつ持たれつだからね〜。」
「ショーン、顔がふやけてるわよ!ハハハ!オジーは宇宙人じゃないんだからね、ハハハ!」
「だ、だって〜!すっごいよ!な〜んか!ジェイクにあった時もびっくりしたけど、オジーはな〜んか、ん〜、よくわかんないけど、カッコいいや!」
「よし。この辺でいいかね。ナイハンチやってみなさい。」
「はい。」
え?未雪がやるの?マジで?
「うん。筋は悪くないな。ショーン、できるか?」
「はい!」
は?ショーンも?マジで?
「よし。いいだろう。よく稽古してるな。この型はな、首里手(しゅりて)と呼ばれている空手の中の基本の型だ。だがな、言葉と同じで、土地によって少しずつやり方が違う。オマエに教えたのは、オジーがこの村で習った古〜いものだ。田舎手(いなかで〜)とも言われることもある。昔の匂いのする、味わい深い型だ。街の洗練されたものと比べると、無骨に見えることもあるがな。今後、同じ「ナイハンチ」という名前でも使い方や動きが違う物に出会うことがあるかもしれない。でもな、オジーのオジー達が受け継いで、オマエのお父さんにも伝えた、大事な宝だということを忘れないで欲しい。どこに出しても恥ずかしくない、立派な型だということを。誇りを持って稽古しなさい。」
「はい!ありがとうございます!」
ん〜、未雪め。これが沖縄に来た理由の一つか。オヤジ…ありがとな。
次回、も沖縄編かな?んじゃ!